-
8ミリフィルム編集機
世界市場85%以上を
独占した編集機群の代表機種 G-2002当時の従来規格の8ミリフィルム(「ダブル8」。略して「W8」)と、当時新しく発売された8ミリフィルム(「スーパー8」と「シングル8」。いずれも略して「S8」)という、新旧で仕様の異なる二種のフィルムを一台で共用できる8ミリフィルム編集機を世界で初めて作ったのは弊社でした。W8用フィルムとS8フィルムを両方編集したいユーザーにとって垂涎の商品となり、弊社製品G-2002を中心とするW8、S8共用機は世界市場の85%を独占しました。
1970年代中頃、アメリカの有名な商品評価雑誌「Consumer Reports」にて八ミリ映画用編集機が特集された際は、弊社製編集機が品質第一位から第三位までを独占するという栄誉に輝いています。
世界市場100%を獲得した録音編集機最高級モデル RM-8008
従来の8ミリフィルムカメラには録音機能がなく無声ムービーであったため、編集時に音声を気にする必要がなく、フィルム給送を定速で行う必要はありませんでした。また、当時の編集機は原則として手回しであり、フリッカーの強い4角プリズムを使用した当時の編集機であっても、早回しをしながら編集をすればフリッカーによる見にくさは解消され、また編集箇所を探し出す時間の短縮という意味でも早回しの方が好都合でもありました。しかしその後、8ミリフィルムに音声を録音できる「サウンドカメラ」が市場に普及しはじめると、録音された音を正確に聴き取るため、定速(18コマ/秒)でのフィルム給送が必要となってきます。しかし、4角プリズムを使用した編集機で定速給送をした場合、音は正確に聴き取れても映像にはフリッカーが強く、観るに堪えないものとなってしまいます。これをスムーズな映像にするためには最低16面体プリズムが不可欠でしたが、16面体プリズムは研磨が通常の研磨機では困難なため、プリズム研磨業者に依頼すると高価(5~6千円)なものとなり、またプリズムの精度も不正確であったため、満足のいく映像を得られるものではありませんでした。
そこで弊社では試行錯誤の末、専用研磨機の開発に成功。16面体プリズムの社内量産化を実現しました。これによりわずか300円程度の原価で、しかも正確な分角の16面体プリズムを作ることが可能となりました。世界中の同業者でこのプリズムを内作できるメーカーは他になく、フリッカーのない編集機を生産できるのは世界中で弊社のみとなり、弊社は他社の追随を許さない8ミリフィルム編集機メーカーとして、自社ブランド製品の国内外販売はもとより、国内外著名メーカーのOEM生産も増大し、編集機業界での世界最大手メーカーとなりました。
さらに最高級機として、映像の編集のみならず、ナレーション・効果音も編集しながら録音も可能な世界唯一の録音編集機「RM-8008」を開発。上記の自社開発研磨機によるプリズム製造技術による弊社独自の24面体プリズムの開発がこの機能に大きく貢献しました。この成功により弊社製品は世界市場の100%を独占。圧倒的な世界一シェアを獲得し、RM-8008は弊社の名声をさらに全世界の8ミリユーザーに轟かせました(「週刊ダイヤモンド」1980年新年号[世界市場第一位の日本企業72社])。現在でも欲しいとのお問い合わせを国内外からいただくほどです。
弊社8ミリ編集機シリーズは、販売停止から数十年が経った今でも世界各地でお使いいただいているようで、修理のご依頼をいただくことがあります。既に在庫のない部品も多いのですが、長年のご愛顧に感謝し、修理不能でない限り無償で対応させていただいております。
-
コンパクトカメラ
大手メーカー開発陣から名機と評された UF-2
「日本のカメラは優秀だが高価でもあり、先進国の人々の為のものだ、これら対象地域の人々の総数は地球上僅か13%に過ぎない。ということは日本がカメラ大国と言っても地球上80数%の人々の為のカメラは誰も作っていない。それではそれらの人々のためのカメラを我々は作ろう」弊社のコンパクトカメラ生産は、社長(現会長)後藤正の上記のような思いから始まりました。当時、成熟産業とみなされていたコンパクトカメラ業界にあえて進出したのです。
弊社会長の上記のコンセプトは「心に書きとめておきたい名経営者の至言」(日経BP社)の中で、松下幸之助、本田宗一郎など錚々たる経営者の名言と並んで取り上げられる名誉に浴しています。
コンパクトカメラの製品開発に際しては、「通常の鑑賞に充分な美しい写真が撮れること」「安価なこと」「壊れないこと」これら三点を徹底して追求した新製品開発を続け、固定レンズでありながら遠景も近景も合焦するよう考案された「ユニバーサルフォーカス」(特許取得)の独自開発に成功。また、当時の中級機以上にのみ採用されていたモータードライブ方式を採用し、廉価機を使用するユーザーが感じていたコンプレックスを解消しました。
本製品ははじめ自社ブランド製品として販売していましたが、日本の大手カメラメーカー開発陣から「名機」との評価を受け、OEM供給の依頼を受けました。その大手メーカーが自社ブランド製品を他社へOEM供給依頼するのは初めてのことであり、また本製品はその大手メーカーのベストセラーとなったことから、業界において、弊社の名声は瞬く間に広がりました。
その後、弊社の高い技術力と、低価格での製造を可能とした徹底的な合理性が高く評価され、日本の有名カメラメーカーのほぼ全てからOEM供給の要請を受けました。その結果、月間生産台数45万台、年間420万台という、コンパクトカメラとしては当時世界一の生産台数記録(NIKKEI BUSINESS 1991年8月5日・12日号)を実現しました。
さらにこの間、発展途上国8か国への生産展開も並行して行いました。中国に生産拠点を移す企業が増えた現在では想像もできないことですが、文化大革命からまだ間もない時期の中国に完成品としてのカメラ生産技術を最初に移転したのは弊社です。これらのカメラ生産による八か国への経済開発援助が高く評価され、1992年、日刊工業新聞社主催の優秀経営者顕彰制度により、社長(現会長)後藤正へ「優秀経営者 国際貢献者賞」が授与されました。
マクロマックス FR-2200・FR350
10センチ接写から無限遠までの撮影を一台で可能とした世界初のコンパクトカメラ「マクロマックス」シリーズを開発・製造。当時、特殊なクローズアップレンズを用いても最短撮影距離は50~60センチ程度が限界と言われていたマクロ撮影の概念を覆しました。約千分の一相当のシャッター効果により、だれでも簡単に10センチ接写が可能となり、また高速で動いているものでも簡単に瞬間停止撮影が可能となった、まさに画期的なコンパクトカメラでした。
風に揺れる花や、釣ったばかりの魚を写したいという愛好家の方から、接写による証拠写真をフィルムカメラで残す必要のある警察関係の方々まで幅広いご支持をいただき、弊社の誇るべきベストセラーの一つとなりました。
「FR-2200」は一般財団法人 日本カメラ財団(JCII)によって1997年の「日本の歴史的カメラ」に選定されております。
マクロマックス Z3000・Z3200
三倍ズームレンズのスペックを持ちながら、さらに上記「マクロマックス」機能(世界初の10センチ接写から無限遠までの撮影が一台で可能。瞬間停止撮影が簡単に可能)を併せ持つコンパクトカメラを開発。
従来の一眼レフ、コンパクトカメラいずれでもなしえなかった、付属品一切不要の10センチ接写から、三倍ズームまでをすべて内蔵した、世界初、世界唯一のカメラです。
『通販生活』(カタログハウス 発行)でも「コンパクトカメラのピカイチ」として大好評を博しました。
「Z3000」は一般財団法人 日本カメラ財団(JCII)によって、2000年の「日本の歴史的カメラ」に選定されております。作例写真